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多可町発祥「杉原紙」の歴史|地域情報

杉原紙

杉原紙って?

  杉原紙とは、多可町の北部にある杉原谷で生まれたと考えられている和紙の一種で、兵庫県の重要無形文化財・伝統的工芸品に指定されています。墨の色を引き立たせる色の白さが最大の特徴で、中世では武士が一束一本(武家時代の贈り物で、杉原紙一束と扇一本)の贈答や、鎌倉幕府の公用紙として使用され、日本で最も多く流通した紙と言われています。

杉原紙のルーツは奈良時代で、当時の杉原紙は「播磨紙」と呼ばれていました。天平9年(737年)、正倉院文書の「写経勘紙解」に杉原紙の『播磨経紙』と記されたのが初とされています。播磨紙は昭和35・6年に行われた正倉院の調査において、他の産地のものよりも進んだ技術であったことが報告されています。

播磨紙から杉原紙へ

  播磨紙が杉原紙と呼ばれるようになったのは平安時代。関白藤原忠実の日記である「殿暦」の永久4年(1116年)の条に、息女や息男にそれぞれ藤原家代々の家宝の調度と共に、「椙原庄紙(すぎはらしょうのかみ)」を100帖贈ったという文書が確認されています。杉原谷は当時、藤原家の荘園で、「椙原庄」と呼ばれていました。この地で作られた紙が「椙原庄紙」と呼ばれ、後に「椙」は「杉」に変化しました。

蘇った『幻の紙』

  それまで多く使用されていた杉原紙も、明治維新以降、手漉き紙の衰退とともに急速に需要が失われ、姿を消してしまいます。それ以降、杉原紙は「幻の紙」とされていたのです。

そんな「幻の紙」を再び世に出したのは、寿岳文章(じゅがくぶんしょう)と新村出(しんむらいずる)の和紙研究からでした。両名は杉原谷村を杉原紙の発祥の地であると実証。昭和40年代に杉原紙を再興しようという動きも始まり、有志の手によって「杉原紙発祥之地」記念碑が杉原谷小学校の校庭に建てられました。また、藤田貞雄が杉原紙の歴史を記した「杉原紙 播磨の紙の歴史」を出版。同年、紙すき経験のあるお年寄りを中心に、杉原紙の紙すきを約50年ぶりに再現することに成功しました。

現在の杉原紙

  昭和60年の夏、杉原紙は神戸市で開催された「ユニバーシアード神戸大会」の表彰状として用いられました。さらに、現在では小・中学校の卒業証書として使用されています。杉原紙は、自然の恵みを巧みに生かし、今も昔ながらの技法で漉き続けられ、伝統工芸品として親しまれているのです。

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